萩の笠山椿群生林の成り立ちと再生事業

前回、笠山群生林について触れましたが、今回は少し詳しく紹介します。

初めて萩の笠山にある椿群生林を見た時、他に類を見ない奇観に圧倒されました。枝葉を付けずに細く伸びた幹ばかりが立ち並ぶ椿の純林。薄暗い樹林で上を見上げれば、陽光を求めた葉がはるか頭上で広がっているのが見えます。まるで幽霊のような木々だと思いました。しかし赤い椿の花々が落ちて地上を赤く染めるのを見る時、これらの木々はすべて逞しく生きていることを強く実感します。ここは人の介入によって、超過密に生きる椿たちが熾烈な生存競争の末に作り出した稀なる景観です。

笠山の歴史と椿群生林の誕生

山口県萩市の笠山は日本海に突き出した半島です。約8000年前に火山島として誕生し、その後陸続きになりました。同じく日本海に突き出た半島の指月山に毛利氏が1600年に築城して以来、城の北東(鬼門)であったことから「御止め山」として、明治になるまで人手が入らずに天然林として残されました。

明治になり入山禁止が解かれると、人々の暮らしを支える里山として利用されるようになります。シイ、カシ、タブなどの大木は用材として、雑木は薪として切り出されました。昭和30年代(1955~65年)まで燃料の薪炭を得る山として機能しますが、その後、ガスや石油が燃料として普及すると薪は不要となり、笠山も放置されるようになります。

転換期は昭和45年(1970)に訪れます。笠山を調査に来た薬学博士で椿研究家の渡邊武氏が、雑木やツタを払い整備して椿の観光名所とすることを市長に提言しました。萩市はそれを受け入れ、雑木の除去や道路拡張、遊歩道の整備などに努め、10ヘクタールの広さに約25,000本のヤブツバキの純林が出来上がったのです。整備を初めて30年くらいたったころには今に近い様子になっていたようです。

花期は12月上旬~3月下旬と長いのですが、例年2月中旬~3月下旬頃が見ごろとなります。基準木(1999から基準木7本を指定)すべてが花をつけたときに椿の開花宣言を行っています。

笠山椿群生林ができるまでの様子(樹木医・草野隆司氏の基調講演スライドより)

笠山群生林の現状

・椿の名所の中でも、他に類を見ない景観として著名。

・観光資源としてツバキの純林を発展させた。70余年経過する中で様々な問題が生じたため、現在、再生事業が実施中。

笠山椿群生林の再生

1970年から椿の観光名所として整備され、椿の純林として育ってきた笠山の椿群生林ですが、それから半世紀以上経ち問題も生じてきました。

・過密状況で光を奪い合い上へ成長した結果、負けた木は枯れる

・生き残った木も樹勢が衰える

・病気の発生

こうした問題を解決して将来にわたって存続させるために、萩市は2019年(令和1年)から椿群生林の再生事業を開始します。条件を変えながら伐採萌芽試験を行い、約2ヘクタールの椿林の更新を計画しています。一方で保存予定地も設けて現状の推移を見守ります。

方法は、区画を決めて地上70cmや2mで一斉に伐採し、切株から萌芽するのを待つというものです。区画を一斉に切り払った場所に切株が林立する様は奇異な感じですが、既に胴から芽吹いている木も多くあります。全国椿サミット萩大会基調講演で樹木医・草野氏による試験伐採の経過報告によると、伐採後年2年以内の萌芽が現状約60%とのことです。


こうした一斉伐採の方法は新上五島町でも行われていました。山の斜面の一面に胴切りされ、萌芽したツバキが立ち並ぶ様子はよく似ています。

一方で同行して見学していた園芸業者や研究者からは、一斉に切るのでなく間引くように切る方がいい、一本の木を一度に胴切りするよりも落とす枝と残す枝を分けて段階的に落とし樹勢を保つ方がいい、などの意見も上がっていました。

伐採萌芽試験はまだ途中で、今後どのように再生してゆくのか興味深いところです。

参考:

・自然の魅力いっぱい!! 笠山・椿群生林,萩市観光課,2022.3

・笠山群生林「再生物語り」2023.3.18

・第33回全国椿サミット萩大会基調講演,樹木医・草野隆司氏,2023

・椿づくし、講談社編、講談社、2005