茶花の椿

【椿information】2023-10-25 茶花の椿

茶道では11月から炉の季節です。「炉(ろ)」はお茶をたてるためのお湯を沸かす囲炉裏のこと。5~10月頃の夏季は畳の上に風炉を置き、11月~4月の冬季には畳に切ってしつらえた炉で茶を立てます。旧暦10月、現在の11月頃の最初の亥の日に畳の下にしまった炉を開けることを炉開きと言います。炉開きは茶人の正月ともいわれる厳かで特別な行事だといいます。

椿は炉開きの前からも茶席で使われますが、やはりよく用いられるのは炉の時期です。花の少ないこの時期に咲く椿は重宝です。炉開きの茶席では初嵐(はつあらし)などの品種が登場します。

茶席では咲ききった華やかな花姿の椿は見られません。開ききらない侘助、咲きかけの小ぶりな一重、ふっくら丸く咲きかけの蕾などの姿で飾られます。葉も色形が美しいものが好まれます。

茶花と特にいわれる時は単に花の種類だけでなく、活ける瓶、籠、筒などの入れ物との取り合わせが意識されています。花と器が似合ったものであることが美しさになるからなのでしょう。こうした独特の美意識の中で求められ、育まれた茶花としての椿は、園芸とは異なる存在感を放っています。

茶花に用いられる椿には、白玉椿、臘月、侘助、加茂本阿弥、西王母、太神楽、曙、卜伴、太郎庵などがあります。

今ほど園芸品種が多くなかった江戸時代以前でも茶席で椿が用いられことが茶会記などの記録から伝わっています。例えば、天文18年(1549)1月7日に池永三郎兵衛が梅と松と共に用いました。その後も、白玉椿、うすいろ椿、わびすけ椿、などの名が見られます。白玉椿は品種名というより、すぐれて美しいもの、立派なものを意味する「玉」を白椿に付けて「白く美しい椿」といった感じです。うすいろ椿は赤い藪椿に対して色が薄い色の椿、もしくは薄い紫色を指すと思われます。

初嵐 薬師池公園20211205

参考:

  • 茶席の花 椿と侘助,桐野秋豊,文化出版局,1986
  • お茶人の友1 茶花図鑑 炉編,世界文化社編,世界文化社,1994
  • 茶席の花 椿をいける 百種百様,永井宗圭,淡交社,2004

ボタニカルアートのツバキ

【椿information】2023-9-27

NHKの『らんまん』を見ていた方は牧野が描く植物画の精密さに驚いたと思います。写真がない時代に植物の姿を正確に伝えるには植物画に頼るしかありません。牧野富太郎が作った図鑑に載るのももちろん挿絵です。最近の図鑑は写真が主流ですが、実物を見て同定する時、実は写真よりも精密で特徴をとらえた植物画の方が分りやすいこともあります。

ツバキを世界で初めての植物学的に描いた図は、江戸時代に来日したケンペルの『廻国奇観』にあります。リンネは実物のツバキを見ることなくこの図を基に学名を付けました。それだけ優れた植物画は、学問を支える大切な一部なのです。

精密に正確に描かれた植物画は美しく味わい深い絵画にまで発展して「ボタニカルアート」になりました。ボタニカルアートは植物学(BOTANY)における視覚資料であり、同時に絵画(ART)でもあります。

今年の5月に椿のボタニカルアートの本『ベトナムのツバキとポリスポラ』が出版されました。画家の角田葉子さんはこれまで数多くのツバキの植物画を描いています。

ベトナムツバキの調査にも同行していて、この本はその探索の成果でもあります。その植物の有りようをわかりやすく正しく伝える美しくて精密な線、実物の質感すら伝える着色、部位を絶妙に配置した紙面。さらにこの本では発見したツバキの解説が日本語(箱田直紀博士)と英語(Dr.Tran Ninh)でついていて、見応え読み応えのある1冊となっています。大島椿椿図書館に蔵書がありますのでじっくりご覧ください。

ベトナムのツバキとポリスポラ表紙 角田葉子

芸術の秋です。せっかくなので実物の植物画に触れてその魅力を堪能してはいかがでしょうか。近々開催されるボタニカルアート展をお知らせします。角田葉子さんも椿の植物画を出展しています。「アザレアツバキ」と江戸椿の「紅千鳥」です。

第53回ボタニカルアート展

日時:2023年10月9日(月・祝)~14日(土)10:30~18:00(最終日~15:00)

場所:ギャラリー・ムサシ 東京都中央区銀座1丁目9-1 K・Iビル

引用・参考:

ベトナムのツバキとポリスポラ、角田葉子、日本園芸協会、2023

第53回ボタニカルアート展案内状

椿の実の収穫

【椿information】2023-9-14

今年もまた椿の実の収穫と搾油の時期になりました。大きく育った木から実を収穫するのは大変で、手の届かない実を脚立に登って採ったり、高枝切りバサミを使って枝ごと切って採ります。

高枝切りバサミのなかった時代はどうしていたかというと、木に登って採っていました。または下草をきれいに払ってから地面に筵や布を敷き、その上に木から実を振り落したり、棒で引っかけて落してから拾いました。収穫の頃合いは、実の中が黒くなってちょっと割れてきたころを見計らうのだそうです。

下の絵は1933年に清水柳太という画家が描いた『大島風俗』という伊豆大島の風俗を描いた絵巻物の中の絵です。木に登るのは女性達ばかり。みな笑顔です。絵には「椿の実を採りながらアンコたちは朗らかな聲で唄う」と添え書きしてあります。採った実は頭や腰に付けた小さな籠に入れました。

かつての大島では椿油作りは女性の仕事でした。重労働ですがよい現金収入になります。「だから奥さんの方がお金持ちだったのよ」と島の女性は笑って教えてくれました。椿油作りは女性の仕事ではなくなりましたが、明るくたくましい大島の女性は今でも健在です。

『大島風俗』清水柳太(伊豆大島文化情報館・藤井工房所蔵)

参考文献

・大島風俗、清水柳太、1933、伊豆大島文化情報館・藤井工房(旧「伊豆大島木村五郎・農民美術館)所蔵

イタリアのツバキ(その3)

背の高く、大きく育つ海外の椿たち

日本の庭園で見かける椿の多くは、選定してそこそこの大きさに保たれます。一方で海外の椿はほとんど剪定されていません。基本的に選定せずに放置して、木が伸びたいように育てています。これは庭が広いからなのか、貴重な木なので切らないのか、そもそも剪定の概念がないのかもしれません。生垣や壁を覆う装飾にされる場合も、とにかく大きく仕立てられます。

ヴィラ・ターラントの植物園(Botanic Gardens of Villa Taranto)で見た椿は、丸く刈り込まれていましたが、日本では見られないくらい背が高いものでした。木や人と比べてみると分かると思います。

ヴィラ・カルロッタ(Villa Carlotta )の中庭は通路に沿って背の高い生垣があり、ツバキも多く使われています。邸宅裏手の生垣も邸宅と同じくらいの高さにまで茂っていました。

 

広い庭で大きく枝を広げ、のびのび育つ海外のツバキ。ヨーロッパに渡った椿は広大な庭を彩る植物として重宝されたことでしょう。ツバキ自身も日本とは違う国の庭で、その土地の人間たちの要望に応えて大きく育っているようです。

イタリアのツバキ(その2)

イタリア北部のマッジョーレ湖にはいくつかの島があり、その一つのマードレ島は庭園に椿が溢れる島です。

マードレ島(Isola Madre)の椿と古木椿

マードレ島はイタリアの旧家ボッロメオ家が所有する面積8万平方メートルの島で、島全体がいくつもの庭園が合わさってできた植物園になっています。湖に沿った園路をゆくと、石造の階段と竹林、そして椿生垣が見えてきます。やがて「ツバキの広場」に出ると、広場の奥には樹齢200年と言われる椿の古木がありました。花は赤い八重で、たくさんの花を咲かせていました。

樹齢200年の古木椿

マードレ島では、石塀を植物が覆うように仕立てられていて、その中に椿も多く見られます。壁に這わせるように椿を仕立てるやり方は日本ではあまり見ませんが、フランスでも見かけました。無味乾燥な高い石塀や建物壁が常緑のツバキで覆われると、潤いのある雰囲気になります。

そのほかにも島内の至る所にツバキやチャ、その他の植物による生垣がありました。椿の高生垣といえば銀閣寺(東山慈照寺)を思い出しますが、マードレ島の生垣は規模もサイズもかなり大きく、かつ島中で見られました。緩やかな白い石階段がマッジョーレ湖へと伸びており、その道筋の左右に背の高い緑の塀がそそり立ちっています。緑の生垣をこえて青い湖面が見える光景はなんとも美しいものでした。

椿作庭園に遊ぶ孔雀

緑の芝生が広がる庭園では、椿が咲き終えた花を樹下に落として、桃色や赤色の花を色とりどりの雪のように積み重ねています。その花園の上を悠々と孔雀や白孔雀、雉が華やかな羽を揺らしながら悠々と歩く様子は楽園のように美しく、幻想的ですらありました。

邸宅はボッロメオ家の家具調度品や絵画などが展示してあります。華やかな七宝焼の皿に描かれた花々の中に白い椿が、豪奢なシャンデリアと、庭の石の飾りにも椿のモチーフを見つけることできました。

参考:

ICS大会イタリア会議公式案内):

https://internationalcamellia.org/public/downloads/nLfKj/Splendor%20of%20Italian%20Camellias.pdf

イタリアのツバキ(その1)

国際ツバキ会議イタリア大会

会員のいる国で隔年に行われる国際ツバキ協会(International Camellia Society /ICS)の国際ツバキ会議は、2020年に長崎県五島大会で行われる予定でしたが新型コロナ禍により中止となり、2022年に開催予定だったイタリア大会も1年間の延期を経て2023年3月に開催されました。椿の愛好家を中心に研究者、園芸業者など多彩な顔ぶれがそろうこの催事は通例、本会議を挟んだプレ・ツアーとポスト・ツアーを数えると10日を超える大会です。その日程の多くは現地の椿園や植物園などをめぐる視察に費やされます。

2023年イタリア大会の本会議とポスト・ツアーに参加しました。

マッジョーレ湖・バヴェーノへ

今回の大会の会場となったのはイタリア北西部のマッジョレー湖畔のバヴェーノ(Baveno)です。ICS大会の受付を済ませてから、バヴェーノの町へ昼食と散歩に出掛けました。石造りの町並みは穏やかで静かです。そして家々に椿の木が植えられており、今を盛りと花を咲かせていることに驚きと感銘を受けました。スイスに近いこの町でも椿は露地で良く育つこと、当たり前の庭木として地元に愛されていることを実感しました。

ヴェルバニア(Verbania)のツバキ展

翌日からの視察で音連れた第55回ヴェルバニア市椿展はヴィラ・ジュリア(Villa Giuria)で行われていました。ヴェルバニア(Verbania)ツバキ展はイタリアで最初のツバキ展なのだそうです。

ピエモンテ州マッジョーレ湖畔では、150年前からツバキが栽培されており、その実績とツバキの生産や文化遺産を強化したいという一部の愛好家の願望によって、1965年にイタリア椿協会とこのツバキ展の誕生につながったといいます。

椿展の展示はどれも美しく工夫されています。例えば金属製の燭台のような専用什器に花の品種ごとに活けてあったり、絵画のように額に差し込まれてイーゼルにディスプレイされていたり、階段に花籠(オアシスをつめて葉で目隠しされている)でくくりつけられていたり。  

会場の一角に2006年トリノ冬季オリンピックおよびパラリンピックについてのパネルが展示されていて、「マッジョーレ湖の花が競技会場を飾り、16,000 個を超える花束が表彰台ですべての競技の優勝者に届けられた。」と誇らしげに書かれていました。

参考:

  • 55a Mostra della Camelia(第55回ヴェルバニア市椿展パンフレット)
  • 第55回ヴェルバニア市椿展展示パネル
  • つらつら椿:https://tsubaki-fan.com/

夏椿(ナツツバキ)

【椿information】2023-6-22

大気が潤む6月になると、公園や庭先に白い夏椿が咲いているのを見かけます。
夏椿の名は読んでのごとく、夏にツバキのような花を咲かせることからつきました。学名Stewartia pseudocamelliaの「pseudocamellia」も「ツバキに似た(にせツバキ)」という意味です。
大きさは5~7cmくらいでツバキとほぼ同じくらい。白い五枚の花弁を大きく開くところや、雄しべの感じなどが似ているといえるでしょうか。

呼び名なら「シャラ」「シャラノキ」の異名もよく知られます。こちらもインド産のサラソウジュ(沙羅双樹、フタバガキ科サラノキ属の常緑高木)と間違えられたことからつけられた名前。似てるとか、間違えられたとか、何かとアイデンティが弱そうな印象です。

しかし沙羅双樹に間違えられたことで、寺院の庭に植えられることにもなりました。繊細な樹形や赤く美しい樹皮、花は白く、少し波打つ花弁は薄くて軽やかです。寺院の静かな庭の雰囲気にぴったりです。花は終わると、花ごとポトリと地面に落ちます。緑の苔の上に白い花が点々と落ちた様は物静かで美しい風情です。

花が落ちるところはやはりツバキに似ているかもと思いますが、細かなディティールが似ているかどうかよりも、昔の人は、夏に涼やかな雰囲気で私たちの目を楽しませてくれる美しい花であることが、冬の美しい花の代表であるツバキを想起させたのかもしれません。

参考:

新訂原色樹木図鑑、邑田仁監修、北隆館,2004

NHK「らんまん」牧野富太郎と椿(その2)

【椿information】2023-6-8

著作の中のツバキ

牧野富太郎は学術的な書物の他にも植物を題材にした随筆を多数書いています。気軽に読めて、植物の見知らぬ一面を知ることができる内容で、多くの人に植物に親しみ理解してもらいたいという牧野の気持ちがにじみ出ているようです。その文章は伸びやかで、独特な牧野節が炸裂しています。

ツバキについて書かれた文章は、「ツバキ、サザンカ並にトウツバキ」「珍説クソツバキ」「中国の椿の字、日本の椿の字」などがありますが、その中で繰り返し書かれているのが、ツバキの漢字のことです。

書かれた内容を簡単にまとめると、だいたい以下のような内容です。

・ツバキ科ツバキ属のツバキ(Camellia japonica)を指す「椿」は日本の国字であるが、中国の漢字の「椿(チン)」が示す植物はセンダン科のチャンチン(香椿、Toona sinensis)のことで、両者は別物。

・国字の「椿」を「チン」と音読みするのも間違っている。強いて言えば「シュン」と発音すべき。

・ツバキ(Camellia japonica)を中国語では「山茶」と表記する。

・日本ではサザンカ(Camellia sasanqua)に「山茶花」の漢字を充てたことから「さんさか」の名が付き、音便化して「サザンカ」になったと考える。そのため本来ツバキを示す「山茶」がサザンカに使用されたことから混乱が生じている。

・サザンカ(Camellia sasanqua)を中国語では「茶梅」と表記する。漢字表記をするならそれに準じるのが良い。

ツバキとチャンチン

同じ「椿」の文字を充てられたツバキとチャンチン。花も葉も木の姿も、その姿はあまりにも違います。植物図鑑の図を見れば一目瞭然ですね。

シカはツバキの皮が好き?

また牧野は、シカは椿の皮を好んで喰うから椿を大事がる大島には間違ってもシカを放してはいけない、とも言っています。シカが椿の皮を喰うかは知りませんがリスは好物のようです。シカにせよリスにせよ、昨今の大島はツバキの樹皮がずたずたに齧られて、残念な状況であることに変わりはありません。

オオシマザクラとツバキ

最後に伊豆大島への牧野の提言を紹介しておきます。

「大島桜は大島の誇りであるからこれと同格の椿とともにもっとずっと大量に植え、雲のごとく、また霞のごとき桜の花と、燃るがごとく、また絳帳(こうちょう)のごとき椿の花とで全島を埋めつくし、いよいよ同地をして東海上の花彩島たらしめたら佳いと思う」

「花物語 続植物記」より引用

大島を桜と椿で埋め尽くして花が彩る島にせよとは、何とも牧野らしい、美しい植物で満ちた楽園の姿を示してくれたと思うのです。

参考:

  • 植物記,牧野富太郎,筑摩書房,2008
  • 花物語 続植物記,牧野富太郎,筑摩書房,2010
  • 植物一日一題,牧野富太郎,筑摩書房,2008
  • 新訂原色樹木図鑑、邑田仁監修、北隆館,2004

大島椿椿図書館のページが公開されました

椿油専門メーカー大島椿が設立した「大島椿椿図書館」のページが公式サイト上で公開されました。

「大島椿椿図書館」は、椿に特化した専門図書館です。園芸、植物、歴史、芸術など様々な分野において、国内外の椿について書かれた、あるいは椿をテーマに表現された書籍・雑誌・DVDなどを網羅的に収蔵しています。

実際に手に取って閲覧できる開架式図書館で、開館時間中はどなたでもご利用いただけます。

< 開館日 >
毎週木曜日 13:00~17:00(会社休業日、臨時休館日を除く)
※開館予定は変わることがあります。

< 住所 >
東京都港区芝大門2-9-16 Daiwa芝大門ビル4F 大島椿株式会社内  Googleマップで見る

< 直通電話 >
03-3459-5533

詳しくは下記をご参照ください。

https://www.oshimatsubaki.co.jp/company/library/

※大島椿椿図書館は山椿舎で企画・運営しています。

NHK「らんまん」牧野富太郎と椿(その1)

【椿information】2023-5-25

『らんまん』オープニングの椿

2023年4月から「日本の植物学の父」といわれる植物学者の牧野富太郎をモデルにしたNHK朝ドラ『らんまん』が始まりました。ドラマでは名前が万太郎ですが、出身が土佐(高知県)で酒造業などを営む裕福な商家で生まれたこと、旧制小学校を中退して植物三昧の日々を送ったこと、上京して東京大学理学部植物学教室に出入りを許されて研究に没頭するところまで本人と同じです。

朝ドラでは様々な植物がでてきますが、オープニング動画に椿のカットもちゃんとありました。

NHK「らんまん」オープニングより

牧野富太郎(1862-1957)について

牧野が生まれた4月24日(文久2年)は彼の功績を称えて「植物学の日」に制定されています。記念日ができるほどの功績とは、日本の植物分類学の基礎を築いた一人であることと、広く一般に植物学知識を普及させることに尽力したことでしょう。

具体的には、

・日本全国をまわって約40万枚もの植物標本を作製。

・新種や新品種など約1500種類以上の植物の特徴を学術的に記載し、学名を付けた。(ヤマトグサを新種として発表して日本人として初めて新種に学名を付けたことにはじまる)

・種の個体差を超えた平均な全体像を、緻密に描く「牧野式」植物図を確立

・全国規模の植物知識の教育普及活動。(各地で観察会、講演会、園芸学校や高等学校でも講義を行い、研究家や愛好家からの個別の問い合わせにも対応した)

・『牧野日本植物図鑑』の出版。(ほかにも出版多数)

・2種類の学術雑誌『植物学雑誌』と『植物研究雑誌』の創刊に係わり、研究発表の場を作った。

等が挙げられます。

『牧野日本植物図鑑』

1940年の初版以降、現在も重版されている『牧野日本植物図鑑』(北隆館)は、日本植物図鑑の先駆けです。それまでにも「大日本植物志」などいくつもの植物図譜を発行していたものの完成には至らず、念願の本書を刊行できたのは東京帝国大学退官後の1940年(昭和15年)、富太郎78歳の時でした。

本書にはツバキが次ように記載されています。

牧野日本植物図鑑 北隆館 椿のページ

現代語にすると以下のような感じでしょうか。

「つばきは、日本各地の山地に生育する常緑高木で、その変種は観賞用として広く庭園に植栽される。全体に無毛で、密に茂る緑色の葉は有柄で互生し、楕円形で短く尖り、縁に細かい鋸歯があり、厚くて滑らか。春に枝先に無柄の大きな花をつけ、下向きに開いて紅色を現す。緑色の萼片は蕾の鱗片と共に屋根瓦を並べたように積み重なって壁となり、5枚の花弁は正面に開かず下向きで、基部で結合する。雄しべは多数で一体となり花冠の付け根に付いて、花の中心に無毛の単子房があり、花柱は3裂しする。

蒴果は球形で果皮が厚く、蒴果を割って2~3個の大きな黒褐色の種子を出し、この種子から椿油を採る。自生の品種をヤブツバキまたはヤマツバキといい、園芸品種はさまざまある。和名は厚い葉の木の意味といい、また葉に光沢があることから艶や葉の木という意味ともいわれる。椿は和字で春盛んに花が咲くからこの字を作った。中国の椿(チン)と混同してはいけない。」

『卓上版 牧野植物図鑑』「ツバキ」の現代語訳(文責筆者)

とても詳細で具体的な記載です。「牧野式」植物図は、彼のこうした観察眼を絵として表現したものに他ならないでしょう。

朝ドラで現在は東京大学理学部植物学教室での生活が描かれていますが、この先ドラマは波乱に満ちてゆくはずです。そして気がかりなのは、牧野の人生において接点のあった、椿にゆかりの深い人物2人、石井勇義と安達潮花が登場するかというところです。しばらくドラマから目が離せなくなりそうです。

参考:

・らんまん, NHK ,2023

・高知県立牧野植物園:https://www.makino.or.jp/dr_makino/

・卓上版 牧野植物図鑑,牧野富太郎,北隆館,2019