「光源氏」と『源氏物語』の中の椿

2024-4-25

華麗な椿「光源氏」

今年の大河ドラマ「光る君へ」は『源氏物語』の作者、紫式部の物語です。

『源氏物語』の主人公「光源氏」は、桐壺帝の第二皇子として生まれ、光り輝く美貌と才能に恵まれて「光る君」と呼ばれながら、臣籍降下して源氏姓を名乗ります。

その同じ名をもつツバキが江戸期からある「光源氏」です。牡丹咲きの大輪で、淡桃色地に縦絞り、花弁の縁に白覆輪まで入るという大変に華やかな姿です。 多くの人は「さすが『源氏物語』の光る君」と感心しますが、椿研究家の桐野秋豊氏は「源氏」と付くのは白覆輪を端が白い=「白端」ととらえて源氏の「白旗」になぞらえたものだと言っています。他の源氏と名の付く花には白覆輪が入らないものがあるので、すべてが源氏=白旗に由来しているとは限りませんが、この「光源氏」については、その華麗な容姿と花弁を縁取る白覆輪に白旗の意味を込めた、ぴったりのネーミングであることは確かです。

光源氏

『源氏物語』の椿

紫式部の『源氏物語』には、椿にまつわる記載が2か所できます。ひとつは「若菜」の帖の蹴鞠の場面の椿餅。もう一つは「玉鬘(たまかずら)」の帖の椿市です。

「若菜」蹴鞠の場面の椿餅:

「若菜」は、源氏の屋敷での蹴鞠が催された折、若い柏木が源氏の妻・女三宮を垣間見て恋に落ち、やがて女三宮との間に薫が生まれ、その罪悪感から柏木は死んでしまうという話です。

この当時、椿餅は蹴鞠の時に食べるものでした。

蹴鞠が終わり他の公達がみな椿餅、梨、柑子のような物を食べるなかで、恋煩いの柏木は椿餅を食べませんでした。

古来、餅は神聖な物で、椿もまた破邪の木とされました。蹴鞠の毬は鹿革で作られています。仏教で獣の皮は不浄な物なので、椿餅を蹴鞠の時に食べる風習には、その汚れを払い厄難を退けるが意図あったのでしょう。

柏木が椿餅を食べなかった事は、その後の不幸を暗喩する伏線のように思われます。

椿餅

「玉鬘(たまかずら)」の椿市:

「玉鬘」は、若かりし頃の光源氏の愛人だった夕顔の娘である玉鬘(頭中将と夕顔との子)が成長した後の話です。

夕顔の死後、玉鬘は乳母に連れられて九州へ流れ、そこで美しく成長します。土着の豪族に強引な求愛を受けたためにそれを拒んで都へ上京しました。母夕顔の死を知らぬまま再会を願って長谷寺へ参詣する途上で、偶然にも夕顔の侍女だった右近に再会します。そのドラマチックな場所こそが、長谷寺詣での門前である椿市の宿でした。長谷寺に参詣するには椿市で仏前に供える灯明などを用意し仕度を整え、参詣後には精進落しなどをしました。

椿市(海石榴市)は古代から続く市でした。遣隋使を迎えた場所であり、仏教伝来の地でもあります。椿市は「枕草子」「蜻蛉日記」「小右記」などにも出てくることから平安時代にも栄えていたことが分ります。

「玉鬘」の帖は光源氏の昔の恋人の娘(玉鬘)が登場したり、その娘が頭中将と父娘の名乗りしたり、美貌の玉鬘を巡って男達が右往左往したりと、かなり盛りだくさんな話です。「玉鬘」とは美しい髪のことで、毛髪が伸びるのは本人の意にはならない事から運命を象徴します。玉鬘は数奇な運命に翻弄されますが、流されることなく見事に人生を選び取ることで光源氏を感心させます。

引用・参考:

最新日本ツバキ図鑑,日本ツバキ協会編,誠文堂新光社,2010

古典セレクション 源氏物語9,阿部秋生,小学館,1998

古典セレクション 源氏物語6,阿部秋生,小学館,1998