山椿舎は
椿の魅力や椿がもたらす豊かな文化を伝え、
椿の文化を担う人々の活動をサポートします。
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山椿舎は
椿の魅力や椿がもたらす豊かな文化を伝え、
椿の文化を担う人々の活動をサポートします。
山椿舎は「椿」をテーマに特化した課題解決の支援サービス会社です。
ブランディング支援、コンサルティング、企画など、ご依頼の課題に合わせて共に考え、解決のお手伝いをいたします。例えば、
「市の花である椿をもっと市民に愛着を持ってもらいたいがどうすればいいか」
「椿園でのイベントを企画したい」
「地域のシンボルである椿によって地域を活性化させたい」
「椿をモチーフにしたグッズを制作したい」
「椿に関する資料館や図書館を作りたい」
など、
様々な課題のお手伝いをいたします。
椿は日本の固有植物として広く分布しています。常緑の艶葉は山野を緑にし、真紅の花は冬枯れの景色に明るく灯ります。
身近な存在である椿は、古くから有用植物として人々のくらしに深く関わってきました。実から取れる椿油は食用、灯用、そして髪や肌につけると健やかに保ちます。緻密で堅い材は工芸品や道具、高級な炭になります。枝葉から作る灰は草木染めで美しい紫色を生み出します。海岸などの強風地帯では、椿を植えて風よけ、火伏せとして家や畑を守ってきました。
椿は地域の人々の暮らしや文化に密着した存在です。
精神文化面でも椿は私たちに大きな影響を与えてきました。
古代において、椿の幅広く艶やかな常緑の葉は天皇を寿ぐ言葉でした。中世以降、茶の湯に欠かせない花として発展し、やがて品種改良が進んで園芸の華となり、江戸期には天皇や将軍から一般市民までを熱狂させて園芸ブームを巻き起こしました。美しく多様な花はさまざまな図録や絵画を生み出し、工芸品や服飾品には椿文のモチーフが用いられました。昭和期には再び椿の園芸ブームが到来し庭々を飾ることになります。
椿の文化は長い歴史の中で生まれ、育まれ、受け継がれてきました。
このような椿の文化は他の国にはない日本の文化です。
そして日本各地でも、それぞれの地域特性や歴史によって独特の椿の文化が生まれました。
地域に根ざした椿文化は、その地域だけの貴重な文化財産です。
その重要性に気づいて大切にしようという取り組みが各地でなされています。地道な努力と熱意と専門性を以て取り組むことでうまくゆくこともあれば、さまざまな問題に直面して苦慮を強いられる場合もあります。
椿による地域活性活動は、一過性のイベントで盛り上げるだけでなく、その地域に根付く椿文化を掘り起こし、住民自らが関わりを持ち、楽しみ、地域資源である椿の恩恵を感じて豊かになることが大切です。
そこには文化、教育、観光などの様々な要素が複雑に絡み合います。広範囲で時間のかかる取り組みです。
山椿舎の仕事は、こうした課題への取り組みのお手伝いをすることです。 それぞれの土地の椿文化を大切にし、豊かな椿文化を次の世代に伝える一助になりたいと考えています。
山椿舎は、
椿の魅力や椿がもたらす豊かな文化を伝え、椿の文化を担う人々の活動をサポートします。
商 号 | 山椿舎合同会社 |
代 表 | 木全典子 |
事 業
|
椿に特化したブランディング支援サービス、コンサルティング、企画等 |
設 立 | 2022年4月 |
資本金 | 500万円 |
所在地 | 東京都品川区 |
“山椿(やまつばき)”とは日本に広く分布するツバキ(Camellia Japonica.L)のことです。通常ヤブツバキと呼ばれますが、『万葉集』で書かれている「つばき」「やまつばき」の方がことばの音が美しいと感じます。
“舎”は家のこと。人が集まって親しく過ごす場所です。
山椿舎は、椿の縁で人が集い、親しみ、楽しみながら、その縁を大切に、椿の輪を広げてゆく場所を作ってゆきたいと願っています。
木全典子 Kimata Noriko
祖父の代から続く椿油専門メーカー大島椿の創業家に生まれる。大島椿株式会社入社後、医療関係広報部門、広報部、マーケティング部門等を経験しながら、椿に関わる業務に携わり続ける。2012年大島椿グループ取締役、2013年専務取締役就任。2022年取締役退任後、顧問就任。椿に特化したブランディング支援会社・山椿舎合同会社を設立。
一般社団法人日本ツバキ協会 理事
国際ツバキ協会 日本および他のアジア地域会員代表
大島椿椿図書館 館長(大島椿椿図書館について)